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2023.01.06

宇宙飛行士になった医師、今度は副学長、そして社外取締役へ


タイトルをみて、どのような人物を想像したであろうか。きっと筋肉質で短髪で、ニューヨークやパリなど、世界を飛び回っている男性を想像した方も多いのではなかろうか。

医師から宇宙飛行士に転身し、その後は大学の副学長を務めながら社外取締役としても活躍している。この人物とは、日本人女性初の宇宙飛行士になった向井千秋さんのことである。

私自身、社外取締役や女性活躍に関する情報を発信していながらも、先の記述を見て男性を勝手にイメージしてしまっていた。こういったアンコンシャス・バイアス(=無意識の思い込み)こそ、向井さんが現在副学長、そして社外取締役として取り組んでいるテーマの一つである。そこで今回は彼女の経歴とそれぞれに込める思いについて記事にした。

 

弟の難病をきっかけに医師を志す

向井さんが7、8歳の頃、弟が大腿骨壊死という病気により装具なしでは歩けなくなってしまった。遊び盛りの年頃である弟が、病気のせいで友達と遊べなくなってしまったのがかわいそうだと思ったことが医師を志す大きなきっかけとなったと語っている 「臨床経験「あんな大変なこともできた」から宇宙へ」、M3 )

向井さんは医師になるべく中学2年時に地元館林から上京。高校受験にて慶應女子高校に入学後、一般入試で慶應義塾大学医学部へと進学する。そして医師の夢を叶えた向井さんは医師の中でも外科を専門とし、それも慶應義塾大学出身者としては女性外科医第一号になった。最もハードと言われる外科ではとにかく動きまわり、手を動かし、常に速足で移動する忙しさらしいが、それが自身の性格に合っていたという。忙しい医学部時代には、勉学と並行し医学部スキー部に入部する。厳しい練習を重ね、大学5年次には東日本医学部スキー大会の回転で優勝、大回転では3位に入賞しているそうだ。これらのエピソードからも、当時の向井さんの、常にいきいきと活動し続けているアクティブな様子が想像できる。

 

一刊の新聞をきっかけに宇宙へ

大学を卒業し、研修医として忙しくも充実した日々を送っていた向井さんは、日本人宇宙飛行士第一期生の募集を当直明けに手にした新聞で知る。これをきっかけに宇宙飛行士への道を歩み始めるのだが、その時の状況がラッキーであったと向井さんは振り返る。研修期間を終え、受け持ち患者を持たずに学位論文のまとめに専念できる期間であったこと、パイロットではなく宇宙利用のための技術者や研究者を募集していたこと、そして男女雇用機会均等法施行前にもかかわらず性別を問わなかったこと 千人回峰(対談連載)、BCN)

こうした条件が幸いして、向井さんは宇宙飛行士への応募を決めることとなる。幸運もあったかもしれないが、このチャンスを逃さずものにできたのは、やはり向井さんの体力と精神力の賜物ではないだろうか。

こうして宇宙飛行士への道を歩み始めた向井さんは、数多の試験をクリアし、ついにNASAに入所する。NASAでは宇宙医学の分野の研究に携わり、無重力状態での人体の変化をはじめとした先進的な医学を学んだ。NASAへ入所してからスペースシャトルへの初搭乗まで9年を要したが、その9年間はあっという間であったと語っている 千人回峰(対談連載)、BCN)。

 

当たり前を否定される宇宙という経験

向井さんは、NASA入所から9年という長い年月を経て、1994年、1998年と2回に渡り宇宙に飛び立った。宇宙の魅力について尋ねられた際、「故郷のよさは故郷を離れた人じゃないとわからないのと同じで、外から自分がいたところを見ると、客観的に物事が見えてきます。同じ場所にいると、よいか悪いかというのも個々の基準になってしまいますが、宇宙というビッグ・ピクチャーで見ることで自分の立ち位置を知ることができると思います。」と話している 環境先進企業トップインタビュー、三井住友フィナンシャルグループ)。

現在私たちが無意識のうちに共生している重力も宇宙には存在しない。こういった当たり前を否定される経験の連続は、向井さんのその後のキャリアにも少なからぬ影響を及ぼしていると考えられる。

 

宇宙での学びを、次世代の地球へ。

2度にわたる宇宙飛行ののち、フランスにある国際宇宙大学にて客員教授を務め、JAXAにて宇宙研究に携わる。宇宙での経験をもとに、宇宙医学研究や健康管理をはじめとし、次世代への教育や研究を行った。

国際宇宙大学、JAXAでの教育・研究活動後の2014年に東京理科大学特任教授に就任し、15年に副学長となる。

東京理科大学では大学の運営全般に関わるとともに、スペース・コロニー研究センターを設立。宇宙に長期滞在する際のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を高めるため、従来の研究分野を横断した研究開発を進めている。

さらに、宇宙分野に限らず、2019年に「ダイバーシティ推進会議」を⽴ち上げた。前⾝は、「⼥性活躍推進会議」であったのだが、⼥性だけに着⽬するのではなく、個⼈の属性や状況に関わりなく多様な⼈材がそれぞれの能⼒を⼗分に発揮できる職場環境の整備へと発展させたのである。

向井さんは「夢を見ることができ、自分が目標を立てられたら、それはできる。私が医師になれたのも宇宙飛行士になれたのも教育のおかげだし、自己実現や人生を豊かにするためには教育がすごく大事。教育が持っているパワーを本当に信じている」と語っている 「一流に学ぶ 日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏」、時事メディカル)

「教育は夢を実現させる」をモットーに国際化、宇宙教育、そしてダイバーシティ推進を中心にあらゆる人が活躍できる社会の実現に向けて日々奔走している。

 

宇宙飛行士、社外取締役になる

東京理科大学副学長となった2015年、向井さんはまた新たな挑戦を始動した。富士通の社外取締役への就任である。就任当時では、富士通のコアビジネスであるシステム構築や人工衛星関連技術に対して、宇宙で得た知見や長期的な考え方から助言を得ること、そしてグローバル化、ダイバーシティの推進において期待された 「富士通が「向井千秋」を社外取締役に起用した理由」、ニュースイッチ)

前者2つに関しては、宇宙飛行士としての経験が存分に活かされるであろう。では、3つめのダイバーシティ推進に関してはどうであろうか。

ダイバーシティ推進に関しては、前述の東京理科大学でも取り組んでいるテーマであるが、どのような想いで取り組んでいるのか。ここで、冒頭にもあった「アンコンシャス・バイアス」の解消というテーマに立ち戻る。

 

複合的な視点で無意識の思い込みを解消する

宇宙飛行士となったことをきっかけに、向井さんは宇宙とは関係ないあることに気づく。それは、自身の「女性」という属性に注目されることが多いことだ。宇宙飛行士となった際の記者会見では、向井さんにのみ「女性宇宙飛行士としてどんな貢献ができますか」「女性宇宙飛行士として何をやりたいですか」と、「女性」を前提とする質問が多数を占めたのである 「宇宙飛行士の向井千秋が語る「男女問わない」ことの意義と「女性初」の言葉に思うこと。」、VOGUE)

このような「この業務は女性には難しいのではないか」「この職務はこれまでは男性が行ってきたから後任も男性である」といった無意識の思い込みが、ある人の挑戦や可能性に蓋をしてしまっていないだろうか。自身の経験から、こうした問題意識を向井さんは持っている。宇宙に限らず、企業内部、学校、さらには家庭レベルでもこうした問題は無意識のうちに発生しているのではなかろうか。

こういった問題を乗り越えるために、向井さんは「複合的な視点」を持つことが重要であると考えている。

「女性活躍の推進や男女格差の問題を考えるうえでは、男性の立場からの観点も大切だと思うのです。私たちはついつい、女性の立場を女性の視点から見がちです。女性の管理職登用を進めるのは必要なことでしょうが、男性になぜ、女性に対するバイアスがかかっているのかを考えて理解しない限りは、根本的な解決にはならないでしょう。さらに言えば、「男の責任」といった意識で懸命に働いて家族を支えたり、「長男だから」と不本意ながらも家業を継いだりと、「男だから」という理由で人知れず苦しんでいる男性だっているはずです。誰もが平等に機会を与えられ、誰もが活躍できる社会をつくるためには、相手の性別に囚われず、その人にとっての幸せは何なのかを考えることが重要だと思います。」 「ジェンダーに囚われず「自分」として勝負できる企業づくりこそ、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の本質」、pwc)

 

2社目の社外取締役に就任、さらに続く挑戦

向井さんは2019年、富士通に加え花王の社外取締役にも就任した。

富士通では報酬委員会委員長として、主に役員報酬の客観性・透明性を担保する仕組みの構築をしており(社外取締役インタビュー、富士通)、花王では取締役会の審議において経営に関する意見等を積極的に発言し、ちょうど再任が決まっている(役員一覧 向井千秋、花王)。

大学時代からスキー部に所属し学外の活動にも積極的であった向井さんが、宇宙での経験を経て様々な無意識に気づき、物事をさらに客観的に見る力を養った。現在は社外取締役としての立場から企業価値の向上に貢献しているのだろう。

医師から宇宙飛行士、副学長へと活躍の場を広げてきた彼女が、今度は社外取締役となった。富士通、花王といった日本の2つの企業から、個々人、そして社会がもつバイアスを解消し、属性にとらわれずに活躍できる世の中の仕組みづくりに挑む。